国境を過ぎると道は下り、二つの池の間をぬけ高速の下をくぐり、尾道バイパスへ合流します。バイパスからそれて高須一里塚へ向かう道がやや分かりにくいのですが、特に目印もありません。バス停があったかな。
一里塚をすぎて左へカーブするところに、「右ちかみち」という道標がありました。何処への近道なのか、右とはどっちなのかさっぱりわかりません。
その少し先にある、讃大松の碑は昭和23年に枯死した大松の記念碑。
左は山、右は住宅街の道を、高須八幡宮で国道に合流するまでみちなりです。
今宮東交差点の手前でもういちど、住宅地の中を通る旧道へ入り、川をこえると、左手になにか真っ青な屋根が…近づいてみると陰陽石神社でした。なんというか…神社の屋根、真っ青というのは見た事なくて、正直入りがたい感じでした。
今津宿の本陣、脇本陣は今はお寺になっていて、本陣は門だけ見えます。
高須一里塚手前の旧道にある御堂。休憩所みたいになっています。
福山のお殿様がこの水を飲んだところ、奥さんとのよりが戻ったとかなんとか
旧道はこんな感じで住宅地を通っています
松永駅手前、大明神社
松永駅からスタート。この日は一日降ったり止んだり、傘の手放せない行程になりました。
県道54号線と線路にそって、山際をゆるゆると続きます。なぜか旧道って、山と山の谷底ではなく、中腹を走っていることが多いのは何故でしょう。谷底、川際を走るのは大概新しい県道や国道だったりします。
備後赤坂までは、お地蔵さんがたくさんありますが、これは多分全国各地にある、ミニお遍路(という名称は絶対間違ってますが)でしょう。
此処から時折、地神と刻まれた石があります。その土地の神様、農業の守り、みたいなもので瀬戸内、四国でよく見られるそう。注連縄をかけられ、真新しい花が供えてありました。
備後赤坂を過ぎてさらに住宅地を真っ直ぐ旧道が続きます。
途中二つの川辺には、二つ、地神様と、石仏と、もう一つ何かが刻まれた石が三つ並んで同じ形で立っていました。もう一つがなんであるのか気になります。
山手一里塚は非常に珍しく木が残っていました。
備後赤坂駅の近く
じいーーーっ……
川辺にある地神様と石仏様ともう一つは…?
山手一里塚
この区間はいい感じすぎて写真を取りすぎた。
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