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2019-12-15(Sun)

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2011-11-12(Sat)

神辺









目前に芦田川の堤防が見えたら、今度は川に沿って北上します。福山藩福山城は、この川の下、そう遠くない場所にあるので、西国街道が福山を通過せず北上してどちらかというと便が悪そうな神辺を通過するのは妙な感じがしますが、西国街道は福山城が出来る前、神辺城が中心だった頃からあったので、そうなるのでしょう。じゃあ、福山は?といったら、福山は海の街道担当じゃないのかな。
排水場のかたすみに二本松の碑とお地蔵さんがあり、そこから山側へ逸れてゆるゆると尚北上。途中の厳島神社は鬱蒼とした森が印象的でした。
線路下には宮入道光音の墓がありますが、どんな人なのか歴史に暗いので調べてみてもさっぱりわからず。
線路の向うには金比羅さんの常夜灯があります。ここは船が行き来した場所と思われるので納得なんですが、松永からこっち川も海も無い場所に金比羅さんの灯籠がよく建っているのは何故でしょう。この辺で神様といえば金比羅さん!って感じなのかな?と、いい加減な考察。

大渡橋で芦田川を渡って横尾の住宅街の中に一里塚があったみたいですが今は跡形もありません。突き当たり、新茶屋の交差点で東へ曲がって今度は鶴が橋を渡ります。茶屋という地名が旧道っぽくて良いですね。景色がすっかり変わって何もかも無くなってしまっても、地名だけは記憶を残すことがよくあります。鶴が橋東詰めには出雲大社道の道標があります。川を上り下りする船も寄った、にぎやかな茶屋だったんでしょう。
ここから国道313号線を歩く事になりますが、恐ろしい事に歩道はありません。313号線はこの先、井原まで旧道とつかずはなれず並走する道で、井原からは北上し備中往来、出雲街道などなど、見所の多い国道、地図でそのルートを追うだけで街道ウォーカーの血は騒ぎます。




鬱蒼とした厳島神社




芦田川に沿って北上




鶴が橋の東詰めには良い雰囲気の酒屋さんと、出雲大社道の道標、日露戦争凱旋碑があります。



313号線から逸れて、この集落を通り過ぎるといよいよ神辺宿に





神辺駅前を通過して東へ折れると神辺宿のメインストリートです。曲がり角は特に目印もないですが、街道ウォーカーたるもの間違うことは無いでしょう、雰囲気的に。
単に本陣が現存しているというだけではなく、周りの家並みも重厚で通りそのものが神辺宿!という感じです。
歴史的な事を細かく書けばきりがないし、知識もないのですが、へえって思った事は、ここは本陣と脇本陣ではないのです。東本陣と西本陣。東本陣はもう跡形もないようですが、どちらか、といえば東の方が格上であったようです。
現存する西本陣は見学可能です。建物の中にはいることは出来ませんが、何もかもがそのままで、個人の所有であるにも関わらず、電気すらひいていません。大事に保存してあるのです。殿様の部屋が意外と質素なのですよね
すこし歩いていった所にある廉塾は江戸時代の教育施設で、1781年管茶山という人が創立したそうです。有名な人だそうですが知りませんでした。
神辺についてその他もろもろは、神辺の観光ガイドで

神辺宿の東の外れに、一里塚跡があります。一里塚碑の後ろに建っているのは地神塔、五角の柱に農業5神の名が刻まれており、広島の自然石に刻まれた地神に変わって、岡山エリアに入ると時折みかけます。
歩いているとこういう地域性の移り変わりを感じられるのが街道旅のよいとこ






古い家には漆喰の飾り模様がよくありますが、こんなに美しいのは初めて。






東へ折れて、かつてのメインストリートへ





お殿様の部屋 奥に浮かぶ中庭の光が美しいです。




本陣向かいの重厚な家並












廉塾の門から






酒屋さんも。








神辺宿をでると川沿いに、お地蔵さんがありました。






道の奥に松がみえましたが、近づいてみると国分寺参道の松でした。





















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