つい、忘れがちですが、相生は宿場町ではありません。(現在山陽本線と赤穂線の追分かつ山陽新幹線停車駅だというのに…)有年宿の次は片島宿、3里18丁(地図上で計測すればおおよそ14km)の道のりですが、ここから片島(2km) 正條(5km) 鵤 と3宿が接近しています。おおよその想像通り、ふるわない宿であったようです。
片島と正條は地図上で一枚に入るのでまとめて扱います。
相生の町中を抜けた旧道は、住宅街を進み、線路をくぐります。ここから竜野へいたるまでに、河本光、平田翁、圓尾幸蔵と3つの頌徳碑がありましたが、何れもどんな人なのかは分かりませんでした。町史とかみればわかるのでしょうけどね
片島宿は右手に山が迫る、静かな家々の連なりです。旧家の門前にひっそりと旧片島宿の碑が建っていました。車から出て来たガス屋さんを見たのが唯一で、そのとき初めて、あ、そういえば一人も人を見てないな…と思った。
集落のはずれは、両脇を鉄工所(?)にはさまれ、金属のような煙のようないかにも仕事中!といった匂いがしていました。
片島宿中心部
荒神社
人っ子一人すれ違わない…
鉄工所、宿場の外れ
竜野もまた昭和の香りただよう程よくひなびた町で、味のある看板が駅前には沢山あります。
古そうな造りの家がみえたので何だろうかと思ったら正條本陣跡と、明治天皇駐車跡でした。いやいや、何処へいっても明治天皇に先回りされている。本当に頭が下がります。
その先、郵便局の片隅には道標があるのですが、美しく流れるようなゆるやかな達筆………つまり読めませんでした。かろうじて明治の道標であることだけ。
道標をすぎるとすぐ前方に揖保川が見えます。かつてここは渡し船での通行で、川岸に大きな木が何本かあるのが渡し場跡です。対岸の道は一部昭和高分子の敷地になっているので、迂回しなければなりません。
竜野駅前通り
揖保川渡場
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