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2024-03-28(Thu)

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2012-06-12(Tue)

芥川

「白玉か何ぞと人の問ひしとき露と答へて消えなましものを」の芥川は、古文の授業でも特に印象に残っている話ですが、この川のことでしょうか。思っていたよりずっと遠い。京から一夜、女を背負ってここまで逃げてくるのだから、昔の人は健脚ですね。「ほとびにけり(T△T)」とか言って泣いているだけの人では無かったんだな、見直したよ

川を渡ってすぐ、右に常夜灯があり、金比羅大権現63里と書いてあります。久々金比羅さんをみました。広島岡山辺りは金比羅無双でしたがそういえばいつの間にかなくなっていた。63里と言う事は、本家の金比羅さんまでの距離を示しているのでしょうが、海上含むのかな。此処から金比羅へ通じる道があったと言う事でしょうか。
芥川宿は、此処から高槻駅手前の、道が90度左へ曲がるあたりへかけて広がっていたようです。90度カーブには一里塚が現存しており、榎の古木と祠がありました。宿場中心地をすぎて高槻駅周辺にも、格子窓が端正な古い家並みが残っていて、歴史を感じます。





芥川。渡し場にはよく大樹がありますが、ここは大きな銀杏の木です





川を越えて芥川宿へ。なにか意味ありげな石垣





高槻駅の少し前に一里塚と芥川宿の説明があります。形の残る一里塚は久しぶり






時折妙に立派な大通りになったりするので不安になりつつも、道なりに行きます。
川を渡って、左手に山と名神高速、右手は東海道本線、阪急京都線、東海道新幹線と淀川に挟まれてひっそりと嘗ての幹線西国街道が伸びています。さすがに電車の行き来が激しく、5分と絶えず西へ東へ行き交っています。この辺りもまた、古い家が多く、立派な庭木の緑が鮮やか






右手に線路





淀川縁に山が迫るこの区間は、現代の幹線も集中しています。あいだに挟まれてひっそり残る旧街道。天気がいい







朽ちて顔のわからない、多分お地蔵さん。何時からここを見守っておったのでしょうね





庭木の緑が眩い











島本駅あたりで一度道幅広くなり、車の行き来する往来になりますが、すぐにまた静かな住宅地へはいり、山崎へ向かう







より大きな地図で 芥川 を表示



















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